お茶

茶道の歴史について

茶道は室町時代中期に足利義政の茶道の師範であった村田珠光によって始められたとされています。
そして、上流階級の間で広まっていった茶道は千利休の登場によって完成され、茶道は戦国武将や貴族のたしなみとして、爆発的に広まっていきます。
その後茶道は単なる貴族のたしなみとは別の側面も持ち始めます。
茶室はとても狭く作られ、なおかつ密室であることから、政治的な密談を行う場として、茶道は戦国時代にとても重要な意味合いを持つものとなります。

▼千利休と茶道
茶道を完成させた千利休は、もともと商人の跡取りでしたが、教養をつけるために16歳で茶の道に入ります。利休は師匠である武野紹鴎の意志を受け継ぎ、茶道を完成させます。
また、輸入が主だった茶道具を国内でも作るようにし、優れた美術品として重宝されるようになります。
その後46歳で織田信長に出会った千利休は単なる茶人といった立場ではなく、政治的にも重要な役割を持つようになります。
秀吉も千利休を重要し、その地位はますます高まりますが、派手好きの秀吉と極限までムダを省くという利休の考えとは徐々にズレが生じていきます。
最終的には秀吉は利休に切腹を命じ、69歳で切腹してその生涯を終えます。

▼戦国武将と茶道具
茶道・茶道具を大いに利用した最初の人物は織田信長です。
彼は茶道を許可したものにしか行わせなかったため、茶道の価値は高まり、茶道具は優れた美術品としてもてはやされます。
彼の灰化はこぞって茶器を欲しがり、優れた茶器は国一つに匹敵するほどの貴重な美術品となり、例を挙げれば信長の配下であった滝川一益は、茶器では各国を与えられて大変悔しがったというエピソードがあります。
茶道具は現在も美術品として販売や買取がなされています。

 

透明 お茶

使い捨ての消耗品

茶道にかかわる道具はたくさんありますが、中でも茶道具は古美術品として価値が高く、高価買取されています。
お茶をたてる際に使われる茶筅や茶杓は、水につけたりする竹製の消耗品なので保存することが難しく、昔の茶会ではその会ごとに茶碗や茶器を使って使い捨てにする習慣があったため、状態の良いものが残っているのは稀なことです。
それゆえに、室町や江戸時代などの古い時代の茶道具が発見された場合には、オークションなどで古美術商に高く買取られることとなります。

▼茶碗
元々茶碗とは抹茶を飲むために作られた、現代でいうマグカップに近いもので、ごはんを盛る飯茶碗とは区別されてきました。
その時代ごとに有名な陶芸家が、時代ごとに流行となった手法で作ってきたものであるため、芸術性の高いものとなります。
派手な色づかいに花や風景を模した皿や花瓶とは違い、シンプル器にワンポイントの模様が施された実用的な器となりますが、素朴でも気品ある茶道具の一種であるため、コレクターの間では何百万という金額で買取されています。

▼歴史の詰まった茶器や茶道
茶器とは、現代では急須などの沸かしたお茶を入れる道具のことを意味していますが、昔は抹茶を入れておくための蓋付きの漆塗り製品のことを意味していました。棗(なつめ)とも言います。
こちらも漆が剥げてしまったりすると価値が落ちるため、状態の良いものは古美術商に買取されて店先に並んだり、国宝級の美術品となり博物館に大切に保管されることとなります。
いずれの品も日本独特の歴史文化、わびさびの精神が詰まった茶道に使われる大切な茶道具となります。